ho10’s blog

就活ろぐ。

東京にスーツでいると

めちゃくちゃ道を聞かれる。私地元ここじゃないです(笑)(笑)

 

昨日は凄かった、韓国から旅行に来てる人、20代後半くらいのお姉さん、50代前半くらいの二人連れのご婦人、赤ちゃんを抱えたお母さん、スーツの40代くらいの外国の方、とにかく本当に女性にめちゃくちゃ話しかけられる。そして道を聞かれる。(男性は極たまーーーーーに。昨日も1人だけ物凄くアタフタしてる人に道を聞かれた。必死だったから私まで焦った笑 全然東京詳しくないのに笑笑)

 

昨日なんか全部で8人だ。あんまり話しかけられ過ぎるもんだから、「答えられないといけない」と思いだし、その後ずっと携帯のYahoo!乗り換え案内を開きっぱで就活していた(笑)

 

分かるよ、東京は乗り換え案内あっても難しいもん、一旦駅出て横断歩道歩いたり商店街潜ったりしなくちゃいけないのに涼しい文字で「乗り換え」って書いてあったりするよね。初見殺し過ぎる。大阪もしんどい。慣れるまでは住みにくさ感じるだろうなあと想像するに難しくない。

 

 

第一志望の最終面接は

自分を出し切ったというよりも、自分の実力の限りは尽くした、という印象。

 

特に凄く悪かったところがあるわけでもなく、面接は概ね良好。人事の方に、笑い声が聞こえていました、面接の三回とも「是非採用して下さい」というコメントがついていますと伝えられる。しかしながら………最終面接中に不穏な空気に一回なってるのが懸念事項。なんとか答えて✖️→△程度にはなった気もするが、最終的にどう判断されるかは分からない。

 

まあでも、これが私の実力だなあと思う。その時出せるベストを出していたのは事実だし、それに対する結果が返ってくるという現実があるだけ。これ以上この件について考えるのは徒労でしかないから、考えるのを止めよう。結果が出るまで1週間はある。忘れてしまおう。一先ず終わった、次の就職先探しに取り掛かろう!

最終面接というもの

最終面接。いいこと半分、悪いこと半分みたいな響きだ。結果が出るまでに2週間、とか言われてしまうと余計に。

 

最終に通すならその場で握手っていう方式が世の中の標準規格になればいいのにととても思う。だって最終だよ???期待度が全然違う。deathオアLiveだ。

 

他の面接は、慣れれば通るのは比較的簡単だろう。基本的な学習装置が身に付いているなら、ここまで来ても内定がない私でさえ、最終までは落ちる気がしない。だが最終は違う。もはや慣れとかそういう話ではない。縁とか運とか日頃の行いとかそういうのである。(※たぶん)

なんてこった!対策のしようがないじゃないか!

だがなんとなくわかった。数で稼ぐしかあるまい。打数を増やせば当たる数は増えるだろう。こうして考え至った今は、じわじわと動き出す一歩手前だと思う。まあ、精神状態が前向きになっただけマシだ。笑

 

 

新しい目標

大変な時に分かることって結構ある。昨日の友達のこともそうだけど、誰かに何かを訴えたくて仕方ない夜もある。

 

もう29日だ。結構な時間を無駄にしたような気もする。精一杯だったような気もする。一先ずは休んでいた状態であったのは確かである。

 

そして私はやっぱり、銀行には興味が湧かない。文系で銀行に興味が湧かないというのは本当に終わってるんじゃないかと思うのだけれど、(笑)例えば銀行で務めて、素敵な服を着て、キラキラしたランチを食べて、休みは遊んで、子育ても充実!…というのにあまり魅力を感じられないのは、十分学生時代に満喫させて貰ったからじゃなかろうか。

 

わたしの家は、まあ言ってしまえば裕福で、大抵のお金がかかる遊びはやらせて貰った気がする。勿論親のおかげである。感謝している、きっと私では一生稼げない額のお金を私に費やしてくれたに違いない。おかげで私はお金に困ったことが一度もない。カードで支払えばなんでも買える、いざとなればポンとまとまったお金が出る、そんな状況だったのだから。

 

なるほど、思うに、私はこのありがたさを骨身に染みるまで感じながら、両親に感謝すべく生きていくんじゃないだろうか。どんだけ自分が幸せだったのか、噛み締めながら生きるためにここにいるんじゃなかろうか。

 

ちなみに、わたしが興味を持つことは大抵給料が低い。介護福祉とか、美術とか。しかも医療ではない。介護だ。医療ではないのである。(笑)

福祉に介護に、と生活が困窮しそうなのはなんとなくわかる。でも、銀行よりはそっちがしたい。これは比較的心の声のような気がする。社会貢献度が高くて、かつ給料の低い仕事で親に感謝できる仕事、そんなものを探したいと思っている気がする。

税理士の資格を取ろう。英語を話せるようになろう。少し楽しくなってきた。

 

 

真面目系クズの自覚

▶︎概要

Facebookをやめようと思った。本当の友達がどんな子なのか分かった。私は良く見せるのをやめた。

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就活で第一志望の最終面接まで行って、「君は合否で言えば受かっている。あとは採用人数次第だ。」と言われてから既に丸4日放置され、気が気でなく荒んでいた。

もし明日何も言われなければ確実に落ちているだろう。そういう計算だ。

 

結局のところ、私は大手には受からなかった。1つだけ別の最終が残ってはいるが、どうせという想いは強い。最終まで残って、決め手が無くて落とされる。3度目だ。というか、面接に一度でも通った所はかならず最終まで行き、最終で合格をちらつかされ、結局引き伸ばされてサイレント切りされる。しね、速やかにしんでくれ。私は、誰ともつかないが、大変に憤慨している。自分に怒っているのは言わずもがなだが、合格をひけらかす御社にも幾ばくかとばっちりは飛んでいる。幾ばくか?いや8割は御社に飛ばしている。しね

 

 

…このように唐突に無茶で過激な殺人予告が口をつく程度には荒んでいた私だったが、今日昔ながらの友人に会ってとても気分良く帰宅できたので記録しておく。

彼女はいつでも自然体な人である。自分のことがよく分かっていて、盛りもせず、削りもしない。それなりに努力をしつつ、自分の丈に合った選択をしている。

 

私は?私はハリボテが上手い。いつの間にか背伸びばかり非常に得意になってしまった。実物はクズなのに、何故かハリボテ作りだけはかなりのものになってしまった。分かっているのはそのうちハリボテに殺されるだろうなということだ。

私は、友人を見て思った。「私が等身大を示した時、何人の人間が離れていくのだろうか?きっと大勢だろう、思っていたよりもずっと減る。5人残れば良い方かもしれない。残ってくれるかもと期待した人も残らないかもしれない。私は思っていたよりもずっと友達がいないやつだ。」という感じのことを思った。

私は試しに、Facebookに本気で愚痴を書いてみた。何も飾らず、本音のままの記事だ。暫く放置してみたが、誰も反応しない。記事だけがまざまざと私に伝えていた。「ここにお前の友達はいない」、といった具合に。

 

私は、Facebookを消した。7年は続いたFacebookだったが、結局は消した。無意味で空虚な時間だった。繋がりだった。何も生まなかったと言えば嘘だが、たいしたものは何も産んでいないに等しい。私の自己顕示欲が画像付きで晒し上げられただけである。馬鹿馬鹿しいにも程があるな、と少し笑ってしまった。

 

話は就活に戻る。

思うに、私は大手には届かない人間なのである。やめたほうが幸せになれそうな気さえする。そうならば話は早い。私がクズのまま働かせてくれそうなところを探せばいい。

友人は私が馬鹿だろうが見栄っ張りだろうが、愚痴っぽかろうが気にしないで笑ってくれる。私はそういう人や集団を大事にさえすればいいのだ。

 

さあ、明日からは忙しくなるだろう。真面目系クズの私としての就活が始まるし、学校のことももっとしたい。流石に放置しすぎている。先生に怒られる前にはやるのが真面目系の務めである。(笑)

おやすみ、クズ仲間諸君。元気でやってくれ。

 

蛇足だが、私はその人に食事を奢った。割り勘をするには付き合わせ過ぎたし、どうにか感謝したかったからである。友達は大事にしよう。

 

しんどくて寝れなかった日

もうしんどすぎて寝れない。緊張状態なのかなあ、寝れなかったなんて初めてだ(笑)

 

泣き明かして、でもどうしようもなくて、もうぎりぎりだ。でもきっとまだこれからも神様には(いるなら)いじめられるんだろうなと思う。

 

しかし多分、私はそんなに簡単には鬱とかにはならない。いじめ倒したら頑張ったね、もういいよって自分に言ってあげようとか思ってるから、そんな体質の奴は多分鬱にならない。(笑)

 

はー、いじめられてるなあ。理不尽に振り回されてる。神様に引きずり回されてる。

 

いいよいいよ、もっと否定して鬱々とした気分にさせようとしなよ。もっと不安にさせようとしてみなよ。私は絶対負けない。そんな理不尽な、周りを不幸にして回ってるだけの就活っていうのに、絶対飲まれない。

 

私が負ける時は死ぬ時だ。私が私の意思で前に立ち向かえなくなるのは死ぬ時だ。私は自由を愛してる。自分の想いに正直に自由に生きることを愛してる。

誰にも何にも振り回されない、強く気高い自由な心をもつ限り、私は絶対に負けない。立ち止まらない。自分を信じ続ける。

私以外に私を信じる人なんかいない。だったら私自身が私を信じる以外に大事なことなんかない。

今日も私は私を誰よりも信じるよ。頑張ろうね。